私の少女時代は昭和40年代。

高度経済成長真っ只中で、

少年少女向けの雑誌も

右肩上がりに勢いを伸ばしていた頃。

 

マーガレット、少女フレンド、りぼん、なかよし…etc

それら少女向け週刊誌や月刊誌の末尾に近いページに、

必ず載っていたのが「占い」だった。

記憶は曖昧だが、12星座の星占いがメインだった気がする。


おそらく、同世代の少女たちの多くは、

こういった雑誌の占いページで「占い」というものと、

初めて出会っているのではないかしら。

 

そうそう、タロットカードを知ったのも、

少女雑誌の付録についていたタロットカードがきっかけ

・・・という話をよく聞く。

 

初恋やファーストキスを経験する、もう少し前。

小学校高学年くらいの年頃に

多くの女の子たちが「占い」と出会っている。

 

そして少女雑誌の「占い」コメントに、

間違っても辛辣なこと、ネガティブなことは

書かれていないはず。


だから少女たちは、「占い」というものをごく自然に、

好意的に受け入れられたのでは?と思う。

 

一方、少年雑誌に「占い」が載ってたなんて話は、

今もって聞いたことがない。

 

「占い」と出会う時期、出会い方。

それが世間一般に言われる

「女は占いが好き」「男は占いが苦手」

※あくまでも一般論
・・・につながっているような気がするなぁ。

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初対面の人に会うとき、
わたしが大切にしているのは、
その人の「背景」が、
すーっと入ってくるかどうか。

広告や雑誌の取材はもちろん、
占い鑑定のお客様と会うときも、
「それ」を大事にしている。

「背景」というのは、
その人のそれまでの人生の来し方、
歩み、物語・・と言えるかなぁ。
といっても、大げさなものではありません。


知名度の高い方に会う場合は、
ネットで事前に
略歴などのプロフィールに目を通しておく。
経営者の場合は、
経営理念やトップの挨拶文も、
頭に入れておく。

でも、それだけでは「背景」は見えない。

「この仕事に就く前は、○○で働いていたんです」
「結婚して、妻の実家があるこのまちに来たんです」
「しばらくプータローだった時期があって」
「父が亡くなって、この仕事を継ぐことにしました」

そんなさりげない本音を少しでも聞けると、
その人の「背景」が
急にリアルなものになってくる。

たぶん、そういう時には
聞く側のわたしも、
こんな人間ですよ・・・と、
自分の「背景」を雰囲気として
相手に伝えているのかもしれない。


言い方を変えると
お互いの「背景」が感覚としてわかりあえれば、
その場で一気に信頼関係が深まり、
取材も占い鑑定もいい方向へと進む。


これは講演会などでも同じ。
講師の方の言葉の一端から
「背景」が伝わってくると、
その人の話にぐんぐん引き込まれる。

逆に「背景」を無理して、
作っているように感じると、
なんともいえない「違和感」が残る。

もちろん病歴や転職歴、離婚歴など
初対面の人や公の場で、
堂々と語りたくないことはあるだろう。

それをこと細かく言う必要はないけれど
「こう見えても、いろいろあったんですよー」と、
軽くひとこと言ってくれるだけで、
その人の「背景」の厚み、深みが見えてくる。



ところで、「恋愛感情」が絡むと、
相手の「背景」を見極める目が曇ることがある。

相手から聞く話に違和感を感じても、
「彼は私に優しいし、愛してるって言ってくれるし」と
その違和感を無理に打ち消してしまうことがある。

でも往々にしてその違和感は、正しいことが多い。

今、あなたの目の前に居る人の「背景」は、
あなたの心にすーっと馴染んていますか?


※写真は三島楽寿園の夏木立。夏もそろそろ終わりです。





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今まで「風立ちぬ」といえば、
堀辰雄の小説から、
高原、サナトリウム、結核・・のイメージしかなかった。
そして、松田聖子の初期のヒット曲。
これは松本隆の詩が極上。

でもこれからは、
昨日見た宮崎駿の「風立ちぬ」が
イメージに深く刻まれていくと思う。

のどかで美しい
昭和初期の日本の田園や里山の風景。

それに見惚れていると、
そんなのは夢だよ、とあざ笑うかのように画面は変わり、
地震や戦争で破壊された街並みの風景が映し出される。

この映画では飛行機がモチーフだけれど、
科学技術の英知がもたらす素晴らしさと、
愚かさ、残酷さという意味では、
原発も同じではないのか。

宮崎監督は、
この作品を最後に、
もう映画を作らないんじゃないかな。

なんとなく、そんな気がした。


http://www.youtube.com/watch?v=dZzO_AtkUu8

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人気の朝ドラ「あまちゃん」で、
東京へと旅たつアキちゃんを見送る
母親のハルさん(キョンキョン)が、
「あんた、こっちでみんなに好かれていたからねー」と
手を振るシーンがある。

アキちゃんを励ます言葉として、
とてもいい台詞だなあと思った。

老若男女を問わず、
地元の人たちに愛され、
可愛がられていたアキちゃん。

「愛されていた」というのは
少し面映くても、
「好かれていた」ならば、
すんなり入ってくるのではないか。

※この場合の「好き」は恋愛感情以外のものも含みます。


最近、仕事上でトラブルがあり
しばらくモヤモヤしていた。

それに答えを出すように背中を押してくれたのは、
「好きな」友達たちの言葉や気持ちと、
過去の自分や家族、友達の写真だった。

同じ時期に、たまたま
過去20年分ほどのプリント写真を整理して
新しいアルバムに移す作業をした。

若い頃の自分や家族、友達。
幼い頃の子どもたち。

たわいもない写真ばかりだけれど、
この写真を撮ったとき、
自分はこの人たちを「好いて」いたし、「好かれて」いた。
その積み重ねの上に、
今の自分がいるんだと思ったら、
不思議な自信が湧いてきた。

そう思ったら、
人生の残り時間は限られているのに、
こんなことで
モヤモヤしているのはもったいない!と。

自分が出した答えが、
他の人にとっての正解かどうかはわからない。
でも、自分にとってはいい答えだった。

人は、人間関係や仕事で煮詰まったとき、
自分はこの程度なんだからしょうがない、
責められても仕方ない・・と、
自分を卑下してしまうことがある。

これが進むとモラハラ、パワハラの世界。
自分が悪いから責められるんだ・・となってしまうと、
悪しきコントロールの世界にはまってしまう。


そんなときは、
今までの人生で自分が「好いた」人
自分を「好いてくれた」人の存在を思い出すと、
いいんじゃないかな。

誰しも好き嫌いや個性があり、
利害関係もあるから、
自分と関わるすべての人を、
常に「好き」ではいられないかもしれない。

それでも、
「好きな」人、「好いてくれる」人をひとりでも
多く見つけられれば、
それだけで人生はオッケーなのではと思う。






















 

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ブログやSNSで
マメにしかも長期的に
情報を発信している人はけっこう多い。

立場を変えて読む側に回ったとき、
面白いのはどんな読み物かな、と考えた。

あくまで個人的な意見だが、
仕事や趣味をアピールしながら、
そこに書いている「わたし」の日常や考え方が
ちらちらと見え隠れしている文章が好きだ。

正論をスマートにまとめていても、
そこに「わたし」が見えないと、
単なる宣伝広告としか思えない。

こういうビジネスを考えるのはどんなひと?
こういう趣味を極めているのはどんなひと?

そんな好奇心をも満たしてくれるのが、
ブログやSNSのいいところではないかしら。

言い換えれば、
書き手と読み手の距離を
近づける配慮がなされているかどうか。

理路整然とした書き手が、
くすりと笑える子どもネタを書いていたり。

その道ではキャリア十分の書き手が、
うまく焼けなかったクッキーの写真を載せていたり。

ただし、それが行き過ぎると
個人情報や守秘義務、誹謗中傷など
いろんな壁にぶつかってしまう。

要は、格好つけて完璧な仮面をかぶるのも良くないし、
無防備に「わたし」を出しすぎるのも良くない、ってこと。


モテるプログやSNSの秘訣は、
裸は見せずに、下着をチラリ?

今人気の壇○○さんみたいだねっ!













 

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B型ひとりっこのせいか?
子どもの頃から、
我慢することが苦手で、
自分なりに苦労はしているつもりだが、
傍からは
「自由に好きなことをやって生きている」と
見られているようだ。

昨今は、几帳面で責任感が強い人、弱音をはけない人が
心身を病みやすいといわれている。
実際、そういう人も多く見ている。


ふりかえって、自分はどうだろう。
うーん、責任感はあるつもりだけど、几帳面さはないな。
で、弱音と愚痴はすぐに吐く(笑)。

今、ある仕事をこのまま続けるか辞退するか思案中。

任せてもらっているものを投げ出すのはよくない、
できる範囲で頑張っていくべきだと思ってやってきたが、
なんか、もういいかな、十分頑張ったじゃん、という気分。

最近、年齢のせいなのか、
限りある人生の残り時間を、
自分が納得のいくものごとに使いたい、
という気持ちが強くなっている。

自分のため、お金のため、暮らしのため。
好きだから、楽しいから、誰かの役に立ちたいから。
なんでもいい。
これでいいんだ、って、
ストンと自分の腑に落ちる理由があるならば。

もう自分の中では
その仕事を降りることを決めている。
いろんな人、いろんなことの折り合いをつけるのは難しいけれど。

今朝の新聞に、
松浦弥太郎さんのエッセイの広告が出ていた。
「さよならは小さい声で」
なんか、読みたくなるタイトルだわー。






















 コメンテーター?の乙武さんと
女優の宮沢りえさんには、
誕生日が同じ、という共通項がある。

なぜ知っているかというと、
私も同じ誕生日だから(汗)。


レストランへの車椅子入店拒否騒動で、
評価を下げたように見える乙武さんと、
舞台の代役を見事果たし、
評価を上げたように見える宮沢さん。
(どちらも個人的な見解です)。


誕生日が同じということは
基本的な性格の共通点も多いはずだけど、
今回の出来事を通して、
おふたりの違いは何かと考えたとき、

「諦めることを、どれほど体験してきたか」が
ポイントになると思う。


乙武さんは著書でも語っているように
明るいご両親に
のびのびと育てられたようだ。
だから、自己肯定力がとても強い。
それは、生きるエネルギーの源になる
とても大切なものだ。

片や、宮沢さんは
シングルマザーのお母さんに育てられていて、
幼少時の家庭環境には
恵まれていなかったようだ。

もちろん、類まれな美貌と演技力で、
女優として長く第一線にいるのだから
彼女の自己肯定力もとても強いと思う。

ただ、宮沢さんは恋愛や結婚面では、
納得のいかないこと、
あきらめざるを得ないことを、
何度か経験しているのではないか。

「諦める」体験なんて、
本当は少ないほうがいいのかもしれない。
でも、誰しも人生の中で多くの「諦め」を経験し、
それをやり過ごしながら、生きていく。

進学、就職、結婚、家族、健康、社会的な地位・・・。
なんでも思い通りにいく人なんて、いるわけない。


タロットカードに例えると、
自己肯定力は「皇帝」のカードに近いかな。
言い換えれば自信、ポジティブさ、リーダーシップ。

でもカードが逆位置になると意味も変わる
行き過ぎた自己肯定力は、
自信過剰、傲慢さ・・になる危険を孕んでいる。


話を元に戻そう。
同じ誕生日の有名人おふたりが、
同じ時期に世間で話題になったということは、
この時期の牡羊座は、
星の巡り合わせ的に、
何かと目立ちやすかった・・ってことでしょう。

でも一般人の私は
特に目立つことも起きず、
穏やかな日々を過ごしています。ほっ(笑)。

















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いつもいつも・・・ではないですが、
既婚者の浮気した(された)の類のご相談は、
いわば占いのひとつの定番ジャンルです。


知人や友人で、
自分もしくは相手の浮気が原因で、離婚した人が何人かいます。
また、同じような状況でありながら、離婚していない人も何人もいます。

前者の理由はわかりやすいんです。
もうやっていけない。愛せない。

後者の理由は、わかりにくい。
(というか、ご本人があえてわかりにくくしているように感じます)。
もうやつていけいない。愛せない。「でも」経済的に無理、世間体がある、子どものために。

占う側としては、前者も後者もどちらも肯定する方向でお話を伺います。
そこに至るまでのご夫婦の歴史などを考えると、無責任なことは言えませんから。


不思議なのは
前者の多くは「大変だったけど別れてよかった」と言う人が多いこと。
時が経ち、苦労が過去形になっているからこそ、そう言えるのでしょうけれど。

病気に例えると、
きっぱり別れるというのは外科手術のイメージ。
切ったときは痛いけれど、やがて傷は癒えていく。

別れないという選択は内服薬的なイメージ。
薬で痛みを抑えながら、病気とつきあっていく。

どちらを選ぶにせよ、
最後にハッピーをつかむのは、
浮気した側でもされた側でも、
被害者意識を持たないひと、これに尽きると思います。



















































我が家ベランダの鉢植えシクラメンが、
今ごろになって色鮮やかに咲いている。

一昨年の冬に植えた3株のうち、
昨年まで生きながらえたのは1株のみ。

長方形の鉢に3つ植えていたのが、
1つになってバランスが悪いので、
昨年の冬に2つを買い足した。

ところが買い足した2つは
冬の始まりからよく咲いたが、
一年年上の株は深緑の葉っぱばかり豊かで、
ちっとも花が咲かない。

真冬の間、ときどき眺めてみたけれど、
葉っぱの下に固く小さな蕾はあれど、
いっこうに咲く様子がない。

そうこうしているうちに春になった。
冬が過ぎたらもう咲かないのかなーと思っていたら、
3月後半から、
その古株シクラメンの真っ赤な花が次々と咲き出した。

今では3つの株の中で
一番華やかに咲き誇っている。

春爛漫のシクラメン。
なんだか間抜けではあるけれど。

期待通りに咲いてくれる花は、もちろんうれしい。
でも、なんの期待もせず忘れていた花が、
涼しい顔で咲いているのは、それ以上にうれしい。

あまり気にしすぎないほうが
物事がいいほうへと動く場合がある。

言い方を変えると、
あまり気にならないことっていうのは、
自分の無意識の中で、
これは気にしなくても大丈夫! ・・・って
感じているのかもしれない。

宝くじなんかも、忘れていた券が当たったりするしね〜。

でもでも。
仕事の締め切りだけは別物(汗)。
忘れていたら、幸運はつかめない。。。。












 

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読売新聞の「発言小町」という人生相談サイトをよく見ている。

相談について、有識者ではなく
一般の人があれこれコメントを書く形式。
相談者もコメントする側も匿名。
なので、信憑性はどれほどかわからないけれど。

数日前かな。

働く母親が0歳の子どもを平日実家の母に預けており、
自分たち夫婦は週末のみ面倒をみている。
最初は朝、実家に子どもを預けて仕事に行き、
帰りにまた子どもを受け取るようにしていたが、
実家との距離が車で40分ほどあり疲れてしまうので、
平日は子どもを預けっぱなし? にしている。
このことを友人に話したら「有り得ない」と言われた。
私の子育てはおかしいですか?

・・・という相談があり、
それに対するコメントがすごくたくさん付いていた。

その大半が、
・自分の子どもは自分で面倒見なさい。
・赤ちゃんの可愛い時期、自分で子育てしないなんて気の毒。
・母親が幼い時にちゃんと育てない子は将来が心配。
・私は親も頼らずに仕事と子育てを頑張った。

・・などなど、相談者を非難するものだった。
正直、なにこれーって思った(汗)。

母親がどんなに手間ひまかけて育てたって、
子どもが問題起こすケースはいくらでもあるじゃん。

3歳までは母親が・・と今でも言う人が少なくないから、
働きたい母親がいろんな壁にぶつかっちゃうじゃん。


今年から貧困家庭の子どものサポート事業に
ほーんの少しだけ関わっているせいもあるのだけれど、
経済的にも社会的地位にも恵まれ、
夫婦仲の良い(表面的に?)家庭で、
両親の愛情を存分に受けて育つことだけを「良し」とする
最近の子育ての概念にどうも疑問を感じる。

貧乏だったり、ひとり親だったり、
両親が不仲な家で育った子どもは、
「良し」とはされないのか。
現実にはこういうケースはかなり多いと思うんだけど。


先の相談に対するコメントの中で、
ひとつ面白いなと思ったのは、
アジアの某国に住んでいるという人のコメント。

この国では両親が生活のために出稼ぎなどに出かけて、
 田舎で祖父母を子どもが育てるケースは珍しくありません。
でも、そういう子どもたちが、
母親に育てられた子どもと比べて、
成長した後に問題を起こすことが多いようには思えません。
多様な子育てを許す気持ちが、残念ながら今の日本にはないようですね。

相談者が、どんな仕事のどんなポジションにいるのか。
相談者の夫は、今の子育て状態をどう見ているのか。
実家の母親は、どんな気持ちで子どもを預かっているのか。
簡単な相談文からは、そのへんが見えてこないので何とも言えないけれど。

社会全体で子育てを・・・なんて言っても、
この相談についたおびただしい数のコメントを読む限り、
自分の子育ては自分で頑張るべきだ、
っていうのが今の社会の本音なんだろう。





















 


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1980年代後半から、広告企画、雑誌編集、占い鑑定など、主に文章を書く仕事に携わっています。最近は、医療系の国家資格も活用中。すべての仕事の根底にあるのは、「その人の物語に寄り添う」こと。スピッツの音楽と草花をこよなく愛する日々。
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