1979年頃の放映だから、約40年前だ。

向田邦子さんの名作「阿修羅のごとく」HNKドラマ版を、2019年のお正月に観た。

 

俳優陣の美しさ、芝居のうまさ、脚本の奥深さは今更言うまでもないが、

この時代の頃には「男」と「女」として成立していた諸々のことが

その後「男性」と「女性」なり、今や「男子」と「女子」へと変化しており、

それにともなって「男」と「女」の時代にはちゃんとあった、

どうしようもないエロチックさや濃密さ、せつなさ、

理性には収まり切れない本能みたいなものが、どんどん薄れているように感じた。

 

浮気も不倫も見栄も嫉妬も、

今だって昔と変わらずに巷にあふれているけれど、

そういうものがまるでスマホ画面のように、

とても乾いた、つるっとしたものになってしまって、

そこに、このドラマが描かれた頃のような湿気や質感はない。

 

ドラマを観たあと、ふと思い出したのは、

小学校4年の時に仲良くしていたAちゃんのこと。

 

彼女は若くて色白できれいなお母さん、妹さんと3人で

小さなアパートで暮らしていた。

お母さんは洋裁のような仕事をしていた

お父さんは遠くで働いていて、

たまにしか帰ってこないと聞いていた。

 

そのアパートの近くを新幹線が通っていた。

線路のまわりはコンクリートの壁で囲われていたけれど、

周辺の盛り土の斜面は何もない広い原っぱで、

わたしとAちゃんは、よくその斜面に座って、

スケッチブックに絵を描いた。

 

何を描いたのかは覚えていないけれど、

背後に時折、新幹線が走りすぎる轟音を聞きながら、

真っ青な秋の空を眺めたことは覚えている。

 

5年生になってクラスが変わると

彼女との接点はなくなり、

その後は連絡をとることもなくなった

 

それから数年後に、

中学生くらいになっていた彼女の妹が書いた文章を読む機会があった。

文章が上手だったから、市の作文集か何かに載ったのかもしれない。

彼女は、自分たち姉妹が私生児だということ、

自分が、母や父をどう思っているかなどを、正直に書いていた。

既に、お母さんは亡くなっていたようだった

今だったら、そんなプライベートを書いたら教師に咎められそうだが、

昭和40年代〜50年代のことである。

 

「阿修羅のごとく」で、

ヒロインたちの父にはいわゆる別宅があり、

そこで若い妻と子どもを養っているという設定だった。

それに気づいたまわりの人間たちが、あれやこれやと揉めるのだが、

その揉め方が今とは違って、しょうがないんだけれども、人間らしいというか。

 

機会があったら、

あの頃、Aちゃんと遊んでいた場所に再び行ってみたくなった。

景色は随分変わっていても、新幹線の轟音はそのまま聞こえるかしら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日常

 

友人とのおしゃべりで、

最近は、衣食住ともに軽やか志向だね、みたいな話になって。

 

食事はおいしいものを少しずつ…になってきたから、大きすぎるお菓子やパンはちょっと。

住まいも、子どもが独立して夫婦ふたりだから、小さな家で十分。

衣類も、軽くて安いものでいいよね。

重いウールのコートや硬い皮のパンプスやバッグはもういらない。

 

そういえば、バブルの頃からしばらくの間、「一生もの」って言葉が流行ったなぁ。

「一生もの」のコート、バッグ、アクセサリー、靴。

みんなそれなりのブランドでしっかりした造りで、概ねが重くて硬かった。

 

あの「一生もの」は、どこへ行ってしまったのだろう。

長くタンスにしまっておいた人も、

最近の断捨離ブームで、フリマに出したり、捨てたりしているのではないかしら。

 

それにしても、高価で、重くて、硬い、

今思えば窮屈なファッションを身に着けていた頃は、

まあ、若かったせいもあるけれど、

あまり、肩こりとか疲れとかストレスってものを、意識していなかったように思う。

 

今は反対に、軽くて動きやすいファッションを身に着けているのに、

老いも若きも関係なく、肩が凝る、疲れた、ストレスだらけだと、ぼやいている。

 

今さら、重いコートを着たり、硬いヒールの靴を履く気はないけれど、

その重さや硬さが気にならないほど元気だった

あの頃の時代、自分を羨ましく思うこともある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日常

 

一年くらい前から、

シニアの方に自分の半生を語って頂き、

その方の言葉のままで書き留める

…という仕事をしている。

 

もうかれこれ10人くらいにお会いした。

大半が男性で、

みなさん人生の荒波を乗り越えて

今日を生きている方々で、

戦前戦中の子ども時代は貧乏、

一転して戦後の高度経済成長期になると、

どんどん出世していく…というパターンが多い。

 

どの方にもご両親のことを聞く。

70〜80代のご両親といったら、

明治半ばから後半生まれくらい。

 

で、すべての方が

「父は厳しかった。子どもの頃はよくぶん殴られた」という。

つまり、親に殴られるのが当たり前の時代に育っているのだ。

たぶん、学校の先生にも同様に殴られているんじゃないかな。

 

そういう世代が、

今、パワハラとか老害とか責められている。

 

※私がお会いしている方々は、

 そういうトラブルとは無縁の方々です。

 

すべて育った環境のせいではないかもしれないが、

子どもの頃から染みついている

「目上の人間に殴られて当たり前」っていう意識を

その世代が今更払拭することはできないと思う。

 

じゃあどうするか?って名案は浮かばないのだけれど、

パワハラはいけないという意識を

繰り返し社会に浸透させていきながら、

時が過ぎて、

親や先生に殴られないで育った世代が、

社会の中心に増えていくまで待つしかないのかなと思う。

 

各々の個性はひとり一人違うのだけれど、

その世代共通の価値観や意識ってけっこう根強くて、

その人の人生や社会全体への影響力が、

大きなものなんだなぁと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日常

 

区役所の追悼コーナーでは、サザンのエンディング曲が流れていました。

 

 

春夏秋冬という四季の中で、夏だけは特別なのだ。

人も景色も暮らしも「夏の国」という、

他の季節とは違う次元のところのものになるのだ、と。

何かで読んで、へぇーと思っていた。

 

もちろん、日々の仕事や家事は

夏だから特別どうってことはなくて、

カレンダーどおりに淡々と続いていく。

 

でも、クラクラと眩暈がしそうな強い日差しや

日常をすべてかき消すような蝉の声、

死者が身近に感じられるお盆の迎え火や送り火に、

なんとなく「今のわたしは夏の国にいるんだ」という、

ちょっとしたファンタジーを感じたりしていた。

 

特に、今年は平成最後の夏。

昭和から平成に変わる時は、

今回のように予告がなくて、名残を惜しむ時間はなかった。

でも今回は、この30年の平成という時代をふりかえる時間がある。

 

6月に、平成のはじめの頃に子どもたちが通っていた小学校が取り壊され、

8月には、同じく平成のはじめの頃からはじまったちびまる子ちゃんの作者、

さくらももこさんが亡くなった。

 

古い小学校の建物も、まるちゃんの「のぼり」や電車も、

身近な街の風景に溶け込んでいて、

意識しなくても目に入ってきたものだから、

それが無くなるというのはけっこうなショックだった。

 

キャラクターとしてのまるちゃんは不変だけれど、

やっぱり作者さんがもういないというのは

特に地元の人たちにとっては大きな喪失感である。

 

そんなこんなでこの夏は、

ああ、もう30年もたったんだ…、平成が終わるんだ…と、

しみじみ思うことが多かった。

 

もっとも「さよなら」ばかりではなく「こんにちわ」もあった。

8月に娘夫婦に男の子が生まれ、

9月に一歳になる息子夫婦の女の子は日々健やかに育っている。

 

そして私自身はこの8月で個人事務所設立30周年を迎えて、

運と縁に恵まれたことを心から感謝しつつ、

まだやりたいことがなんだかんだとあるから、

もうちょっと頑張ろう!って思っている。

 

 

9月が始まって「夏の国」はもう遠い彼方へと去って行った。

誰もが、いつもの日常に戻ってきた。

 

でも、平成30年の「夏の国」には、いろんな想いが詰まっていて、

それは、もう二度と戻ってこないのだという、

センチメンタルな甘酸っぱさを含んだまま、

やがて遠い光景になっていくんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日常

 

一昨日、地域のAMラジオ番組で

キャスターのおふたりを占う企画に出演させていただいた。

もちろん、リハーサルなしの生放送、生占い!

テレビでもラジオでも、占いに台本はありません。

 

で、キャスターさんからの質問のひとつに

「占いを上手に使うコツを知りたい」というのがあって。

 

私なりの考えだが、

日常的に「占い」に触れておくことが大切だと思う。

朝のテレビの星占いでもなんでもいいんだけど、

結果を聞いて『あ、今日はラッキー」、「ふーん、今日はおとなしく過ごそうか…」と

一喜一憂?を毎日繰りかえしていくうちに、

「占い」に対する慣れ、というか客観性みたいなのが育ってくる。

 

すると次のステップとして、

「そうか。最近の私は調子いいから、占いも前向きに受け止めているのかな」

「うーん、ツキがないと言われて落ち込んじゃうのは、もしや心が疲れているから?」と、

「占い」にた対する自分の反応を冷静にとらえられるようになる。

 

ここまでくれば「占い」に振り回されないというか、

どんな大物?や怪しい?占い師に何を言われようと、

ワンクッション置いて、自分にとってベストな受け止め方ができると思う。

 

ま、ここまで到達するにはある程度の時間はかかると思うけど…。

 

 

それにしても今年は吉凶ともにニュースが多い。

平成が30年の歴史に幕を下ろす年だから、かなぁ。

 

昭和は遠くなりにけり…といっていた日はもう遠すぎで

今や、平成も遠くなりにけり…だわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ラベンダーの季節が始まります。梅雨の時期をうまく乗り越えてくれるといいなぁ。

 

 

たしか昭和が平成に変わる頃、

石原裕次郎さんや美空ひばりさんが亡くなった。

世間は大騒ぎで

彼らと同世代の人たちは悲しみに暮れていた。

しかし、当時アラサーだった私にとってそれは他人事であった。

 

それから30年経って平成が終わる今、

西城秀樹さんの訃報に驚くほどショックを受けている自分がいる。

ああ、同世代のスターが亡くなるってこういう感覚なんだ、と。

 

新御三家がデビューした頃、中2か中3くらいだった。

友達と初めて郷ひろみさんのコンサートに行った。

西城さん、野口さんのコンサートに行ったことはなく、

特にファンだったわけでもないのだが、

YouTubeで当時の曲の動画を見ると、ほとんど全部知っている!

 

中でも特に記憶に残っていたのが「薔薇の鎖」

高校1年の夏。校舎屋上の蒸し暑い部室。

たどたどしく弾いていたマンドリン。

帰りに仲良しの友達と立ち寄った近くのパン屋。

 

長い間閉じたままだった古い記憶の箱の蓋が久しぶりに開いたように、

「薔薇の鎖」を聞いたら

その当時のさまざまなシーンがわぁっと鮮やかによみがえってきた。

 

彼らの歌は、

毎日、テレビやラジオからたくさん流れていたのだろうし、

当時は、近所の商店街やスーパーでも

流行の歌がに流れていた気がする。

 

だから、記憶への刷り込みが半端ないのだろう。

 

新御三家に夢中だった人が多いと思われる昭和30年代前半生まれは、

団塊世代ほど数が多くなく、

あまり脚光を浴びずに生きてきた気がする。

 

でも、今回の西城さんの訃報に

ネット上でとてもたくさんの書き込みがあるのを読んで、

あの頃の時代を思い出すとともに、

同じような気持ちを持っている、

同世代の人たちがたくさんいるんだなぁと思った。

 

今や、音楽もスマホでそれぞれが聞く時代。

街中に、同じ音楽が流れるなんてこともない。

 

時代は大きく変わったけれど、

簡単に過去の映像が見れるタイムマシンのようなYouTubeがあって、

簡単に意見を発することができるネットがあって。

それはそれで、いいのかなぁなんて思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日常

 

 

昨日はフジテレビ「めちゃイケ」の最終回を観た。

テレビに限ったことではないけれど、

ビジネスがらみのものは

勢いが衰え始めるとあれこれテコ入れをして、

それでもやはり衰えは止められなくて、

最後にはピリオドを打ちましょう、ってことになるのだろうね。

 

土曜の8時と言えば「全員集合」「ひょうきん族」そして「めちゃイケ」。

昭和後半から平成前半くらいの子どもたち(大人も?)って

みんなが共通の「テレビ時計」を持っていて、

それが今思うと、

人間の生体リズムにとっていいものだったように感じる。

 

今では録画はもちろん、youtubeで古い時代のものも、

いくらでも好きな時に再現できるから、

それぞれの「テレビ(動画)時計」がバラバラだ。

 

 

人は誰でも平等に歳をとって老いていく。

だから、アニメ以外の人気番組が、

いつまでも同じ状態で続くというのは不可能だ。

そう考えると、終わりがあるのはあたりまえのこと。

 

願わくば、次に続く新しいものが、

(それはもうテレビではないのかもしれないけれど)

みんなが一緒に楽しめて、笑えて、明るい話題になるものが、

登場するといいなぁと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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去年の四月に尾道の坂の上から。桜はもう散り始めていました。

 

 

 

最近、足掛け6年くらい続けていた

SNSの使用頻度がぐっと減った。

 

飽きっぽい(汗)性格というのもあるけれど、

最初の頃ほど面白味がなくなったことと、

自分が投稿する労力よりも、

他の人の投稿に目を通して

「いいね」を押したりコメントを書くのに、

思いの他、時間と労力を費やしていたことに気づいたからだ。

 

そして、SNSをほぼ辞めてからの一番の変化は肩こりの軽減!

 

仕事柄、PCに向かって原稿を書く作業が

肩こりの一番の原因と思っていたが、

どうやらそれは違っていた模様。

 

 

・就寝前のスマホでのSNSチェック。

・プレッシャーやストレスが大きかった仕事。

 

長い冬が過ぎてこの2つが軽減されてきたら、

不思議と肩こりの辛さが少なくなってきた。

 

自分なりの勝手な分析だけれど、

SNSで自分のコメントにリアクションしてもらったり、

他の人の投稿にコメントする時って、

だいたいポジティブな言葉のキャッチボールで、

その数分間はちょっとだけ気分が晴れやかになる。

 

だから苦手な仕事や人間関係の課題を先送りしたい時に、

SNSはとっても便利。

でも先送りしても何も解決しないわけで…。

 

私の場合、就寝前にSNSをチェックして

ちょっとだけ晴れやかな気分になるものの、

同時に、目を閉じると

先送りしている仕事のストレスやプレッシャーが押し寄せてきて、

それから身を守るために、肩に変な力を入れて寝ていた。

当然、寝つきもよくないし、朝もすっきりしない。

 

人間のからだとこころは繋がっている! 

今更ながらそれに気づかされた。

 

 

この春、心がけているのは、肩のこらない暮らし。

 

からだもこころも。

日々の暮らしも人間関係も。

停滞しないですーっと流れていくように。

先送りしない。安易な一瞬の楽しさに逃げない(逃げすぎない)。

 

どのくらい実行できるかわからないけれど、

とりあえずここに書いておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日常

 

 

 

寒い日々が続いている。

ほとんど雪のない地方に住んでいるが、やっぱり寒い。

 

でもこの1月の小寒、大寒が過ぎると、すぐ立春。

11月、12月の寒さと1月、2月の寒さは感じ方が違うんだよね。

冬至に向かって陽が短くなっていく時期と、

夏至に向かって陽が伸びていく時期の違いだろうか。

 

外に出ると

冷蔵庫を開けた時のようにキーンと寒いのだけれど、

夕方、窓から射す光にほのかな明るさがある。

 

 

20歳になるかならないかの頃、

四季の中で寒い時期がいちばん好き…と言っていた友人がいた。

コートの襟をたてて、背筋を伸ばして北風に向かっていくのが好きなのだと。

彼女の人生前半は向かい風の時期が多かったようなので、そう言ったのかなぁ。

そのときの会話で、初めてトレンチコートなるものの存在を知ったように思う。

 

年末に、庭にムスカリの球根をたくさん植えた。

もう少したてば、

この写真のような色鮮やかなムスカリたちが、あちこちから顔を出すだろう。

 

冬来たりなば春遠からじ、だ。

 

川辺の散歩道に水仙がいっぱい!  まだ枯木立の桜たちもほのかな香りを楽しんでいるのかな。

 

 

1月も半ば。

新年の誓いが、

そろそろ日常の中に埋もれてしまった人も多いのではないだろうか。

 

頂く年賀状や年賀メールに、

よく新年の抱負や目標が書かれているけれど、

「今年も」「今年は」「今年こそ」。

この3つの違いは大きいと思う。

 

今年も…の場合は、現状維持もしくは現実肯定型というか、

このままでいいよね、というニュアンス。

 

今年は…の場合は、今までのままでも悪くはないけれど、

今年はもうちょっと頑張りたい、というニュアンス。

 

そして、今年こそ…の場合は、

毎年、願ってはいるもののなかなか叶わない夢や目標への、

新年恒例の意思表明というか。

 

対人関係を例にとると、

今年も相変わらずよろしく…と書くのは、

日常的におつきあいのある相手。

 

今年はもっと会うようにしましょう…と書くのは、

そこそこご無沙汰している相手。

 

そして、今年こそ再会を…と書くのは、

最後に会ったのがいつなのかかわからないくらい、

時間の距離が空いている相手。

 

もっとも、「今年こそ〇〇したい」が時に叶ったりもするから、

人生は楽しいんだよね。

 

今年こそ! ブログの更新頻度を上げよう(汗)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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Profile

1980年代後半から、広告企画、雑誌編集、占い鑑定など、主に文章を書く仕事に携わっています。最近は、医療系の国家資格も活用中。すべての仕事の根底にあるのは、「その人の物語に寄り添う」こと。スピッツの音楽と草花をこよなく愛する日々。
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