JUGEMテーマ:日常
最近はポータルサイトでも動画サイトでも、
「あなたに関連のありそう」な広告ばかりが出てくる。
シニア世代だと、シミが消えるとか骨を丈夫にする…みたいな
実用的なものばかりで辟易している(汗)。
でも、Spotify(無料版)で
「あなたが好きそうな」曲を流してくれるサービスは嬉しい。
先日、竹内まりやのお馴染みの曲をいくつか聞いていたら、
「ドリーム・オブ・ユー」が流れてきた。
このタイトルよりも「レモンライムの青い風」っていう
CMフレーズのほうが記憶に残っている。
今や飲みものといえば無糖のお茶やコーヒーが主流だけど、
70〜80年代はコーラや炭酸飲料が中心だった。
熱中症予防とかカロリー過多とか、
そんな話がまだ出てこなかった頃。
で「ドリーム・オブ・ユー」を聞くと、
反射的に初夏の木漏れ日やバスケットのゴールを思い出す。
おそらく中学校の校庭のイメージだろうか??
ちなみに私はバスケ部ではなく、
友人たちに頼まれて
かっこいいバスケ部の先輩を撮影する写真部員だった(笑)。
Spotifyもそうだけど、
偶然、耳に入ってくる曲の心地よさって、
以前はラジオや有線が中心だった。
スマホなどで好きな曲を能動的に聞くのはもちろんいいんだけど、
偶然、耳に入ってくる曲が好きな曲だったり、
何かしら素敵な記憶と結びついている時の嬉しさはそれ以上!
今日はこの曲がよく似合いそうな五月晴れ。
お気に入りに加えてもう一度聞くことにする。
#竹内まりや
#Spotify
]]>
JUGEMテーマ:日常
ガーデニングというほどメルヘンでもないし(汗)
多肉や観葉にこだわるお洒落派?でもない。
単に好きな植物の日々の成長を眺めて、
みずみずしい葉や
可憐に咲いた花に触れるのが好きで、
趣味のひとつに「草花」を挙げている。
今年で8年目になるわが家の細長い花壇に、
グランドカバーとして
ワイヤープランツを植えたのは3年前。
指先に乗るほどの
小さな丸い葉っぱが可愛い苗だった。
たしか一年前の今頃までは、
適当にカットして
花壇のバランスをとっていたのだが、
それ以降、仕事が忙しくなったり
外出する機会が多かったりで、
花壇に手をかける時間が急に減ってしまった。
それでも冬になれば植物の勢いが落ちるので、
まあ何もしなくてもいいか…と
思っていたのだけれど。
花壇は南向きで日当たりが良いせいか、
冬だというのに
急にワイヤープランツが勢いを増して、
バラの枝やクリスマスローズの葉を
覆ってしまうようになった。
これでは見た目もよくないし、
花壇が手入れされていない家は、
不審者が侵入しやすいと聞いた。
ネットで調べたら、
ワイヤープランツは「木」であり、
地植えにするとどんどん繁殖して
建物を覆ってしまうこともある…。
ええっ?
そこで今朝、思い切って
イヤープランツの撤去に乗り出し、
まず表面の枝と葉を切り落とした。
家庭用ごみ袋4つ分。
冬なのに汗ばむほどの肉体労働…。
しかし、まだ土の表面と土の中には
固い枝と強い根がぎっしり残っている。
これを撤去しないことには、
新しい植物も植えられない。
ワイヤープランツの一部は、
窓枠のサッシの下にも食い込んでいて、
なんだか怖かった…。
もっと歳をとって
花壇の手入れができなくなったり、
空き家になってしまったら、
あっという間に家は植物に覆われてしまう。
動物より植物のほうが手がかからない
…なんて思っていたら大間違い。
人間も動物も植物も。
とにかく「生きているもの」には
愛情を注いで、手をかけ、
目をかけてあげなくては、
思い通りには育たない。
生い茂るワイヤープランツと格闘して、
つくづくそう思ったのでした。
]]>
先日アップした記事が手違いで消えていたので、再投稿。
毎朝通る近所の川の橋。
だいたい鴨さんたちが朝食?に集まっているので、
今日は大勢だな、今日は少ないな、とか、
橋の上に立ち止まって眺めることが多い。
晴天続きで水の流れが穏やかな日もあれば、
豪雨の翌日などは濁流がすごい勢いで流れている。
彼らが好むのはある程度の水流がある場所のようで、
川の流れに乗っかって、すーっと下っていく姿は楽しそう。
しかし、そんな彼らも弱肉強食の自然界の住人。
お正月にとある神社に初詣に行ったとき、
狭い池に鴨さんたちが数羽いて、
縄張り争いの激しいこと!
奇声を上げて、相手を突く姿からは
いつも眺めている穏やかなたたずまいは想像できない。
唖然として攻撃的な鴨さんたちを見る私に、
「もっと広い池や川に行けばいいんだよなぁ」とオット。
そうか。
いつも眺めている近所の川は一級河川でそこそこの川幅があり、
鴨さんたちは、ほどほどの距離感を保って餌を探している。
必要以上に相手のテリトリーに侵害しない。
これ、友人知人ならなんとかできそうだけど、
夫婦、親子という「家族」枠だと難しい。
特に同じ屋根の下に住んでいる場合。
特に最近は介護問題で
両親と同居している50代の方からの悩み相談が多い。
60代になると
両親もより高齢になって介護度が高くなって施設に入ったり、
亡くなられる方が多いので、その問題は減っていく。
ほどよい距離を保つ、といっても
各々事情や性格によってその手法は様々なので
一概には言えないが、
これについては、
折に触れてここにも書いていこうと思う。
何はさておき、
一定の距離を置いて
すいすいと川面を泳ぐ鴨さんたちの姿を眺められる日は、
なんとなく、朝から気分がよくなるのです。
]]>
※ちょっと重い話を書いたので画像は明るくしてみました!
月1回のタロット占い講座では、
わたしが作るいろんな占い相談サンプルをもとに
(※あくまでフェイクです)
生徒さんが展開したカードを読む練習をするのだが、
ある生徒さんの発言に、なるほどと思った。
「恋愛や仕事の相談なら、
うまくいかなければ、別れて次の恋を、転職して違う仕事を、
…というリーディングやアドバイスができるけど、
親子関係は、次に行くことができないから難しい問題ですね」。
たしかに。
家族の中でも夫婦なら別れれば他人になる。
でも、親子と兄弟はそうはいかない。
最近は超高齢化社会を反映して
親の介護にまつわる
親子関係や兄弟姉妹関係のご相談が増えている。
「次に行けない」問題だから袋小路に入りやすいのだが、
そんな時こそ前回のブログに書いたように、
「ほどよい距離をおく」ことが解決策につながると思う。
「毎日、家で介護していて、距離を置くなんてできない、
母は施設に入らないと言い張っているし」…と悩んでいた方がいた。
ところが、その方はストレスもあったのか
生死にかかわる急病を発症して入院。
そして状況は一転。
身内の方が母親の施設入居の手続きを済ませていて、
ご本人が退院した時は、
介護から距離を置いて、
自身の療養に専念できるようになっていた。
これはちょっと極端な例だが、
「次に行けない」難しい家族関係の問題でも、
考え方次第で、
その問題を軽減することはできるのではないか?と思うこの頃だ。
]]>
JUGEMテーマ:日常
タイトルは今年の自分を振り返って。
生きている限り、自分も周囲も時代も、止まることなくどんどん変わっていくんだなぁと特に強く感じた一年だった。
この度、十数年ぶりに当サイトを全面リニューアルすることになり、とりとめのないブログは続けるべきか?と迷ったのだが。
サイト制作を頼んだ長いお付き合いのディレクターGちゃんに、「せっかく12年も書き続けているんだから、これは残したほうがいいよ。 広告の仕事や占いの相談を頼もうとしている人が、この人はどんな暮らしぶりで、どんな考え方をしているのか知るきっかけになる」と言われ、なるほどと頷いた次第。
取り急ぎ、ヘッダーを変えてみた。「今日も明日も足どり軽く」は、最近の自分の心がけ。他のSNSのプロフにも書いている。
それなのに、ちっとも軽やかではないブログ更新の頻度…(汗)
★
最近思うのは、自分の実年齢(年代)がすっと体になじむまでには、ある程度の時間がかかるということ。
新年のあいさつなどで、今年はいよいよ40代、50代…という言葉をよく目にするが、それらの年代を既に通過した者として思うのは、例えば「ああ私は30代なんだなぁ」と実感したのは30代半ばになってから。40代、50代のときもそうだった。
]]>
JUGEMテーマ:日常
最近、占いのご相談でなぜか続いたのが、転職相談。
勤務先がいわゆる「ブラック」企業で、
モラハラ上司はいるし、サービス残業が多いし、退職者は多いし…。
この「ブラック」企業という言葉、いつ頃から一般化したんだろう。
おそらく、日本の景気が衰退して企業のコストカットが進み、
正社員が減って派遣社員が増えた頃から?
私はこのカタカナの「ブラック」という表現が嫌いだ。
「黒」という日本語に言い変えると、少しニュアンスが違ってくる。
東洋思想の陰陽の「陰」、日向と日陰、昼と夜。
日ごとに日差しが強くなる今の時期、日向と日陰のコントラストはくっきりと強く、
梢に揺れる青葉たちにも、はっきりと光の当たる部分、当たらない部分の差が出ている。
なぜそんなことに気づいたかというと、今春から水彩画を習い始め、
モノを観る時、ほんの少しだけど光と影を意識するようになったからだ。
そしてその光と影の差が、私たちの目に見えるすべてのモノに
立体感、奥行きを与えていることに改めて気づく。
そう。光だけ、明るいだけの世界はこの世のどこにもないのだ。
しかし、そういった世の中の陰陽のグラデーションを、
じっくりかみしめる機会が減っているのは否めない。
スマホやパソコンは電源オンすれば完璧に明るい世界で、
電源オフにすればのっぺりとした単なる「ブラック」の世界。
話を最初に戻そう。
「ブラック企業」を辞めるか否かで悩まれている方の大半は、
辞めたい気持ちを強く持たれている。
でも「ブラック企業」と称される会社ほど
ある意味人気の業界だったり、世間的な知名度か高かったり、というのも事実。
自分がその会社を選ぶとき、入社するときは、
おそらくその会社の明るく輝く「ホワイト」な部分ばかりが
目に入ったということはないのかな。
なんでもオンラインで済まされる今の時代、
企業の「ホワイト」面「ブラック」面だけではなく、
そこに射す光の変化、影の移ろいまで、
見据えたうえで就職するのは難しいのだろう。
だけど、そもそも人も動物も植物もみんな、
毎日、日の出から日没、夜、そしてまた夜明けと、
常に微妙に移ろう光と影の変化の中で生きている。
刻々と変わる変化を誰も止めることはできない。
会社辞めたいな、転職したいなと思っている人は、
一年で一番美しい五月の木漏れ日の中で、
小さな葉っぱたちの見事な陰陽のグラデーションを、
ひととき、足を止めて、ゆっくりと眺めて欲しいな、なんて思うのです。
]]>
JUGEMテーマ:日常
今年も残り少なくなりました。
しばらく放置していた(汗)こちらのブログ、
紆余曲折を経て、
ようやく新しい扉が開いたので今日からまたボチボチと。
コロナ禍の始まる少し前に60代になりました。
20代の終わりから始めた広告制作、ライターの仕事も
さすがにもう世代交代だよね、
でも、声をかけてもらう限りはそれに応えたいし…と気持ちが逡巡していました。
それでも佳き出会いやご縁に恵まれて、
企業社史やシニア向け情報紙、住宅関係情報紙の編集、
求人パンフレット制作などを承っていましたが、
さすがにコロナ禍2年目の今年は仕事量がぐんと減り、
うーん、今後はお財布と相談しながら地道に暮らすしかないかなぁ…と。
でも、私が好きなのは、書くこと、話すこと、身体を動かして働くこと。
下手に暇ができると、仕事も家事も先送りしてだらだらしてしまうし、
ついついネガティブなことを考えたり他者を羨んだりするから、
それは自分の心身の健康によくない…と漠然と思っていました。
若い頃から、好きなことは仕事にする…というか
少なくても報酬を頂くプロになる、というのがモットーでした。
それは、趣味でやると結局、長続きしないという事実もあって(笑)。
ライター業の傍ら、約10年くらい、月数回というわずかなペースで
デイサービスの口腔ケア事業に携わっています。
たまたま学生時代に取得した歯科衛生士の資格があり、
尊敬する先輩からの紹介で、細く長く続いてる仕事です。
そして同じく約10年ほど自分の両親の介護経験もあり、
介護業界のことは、以前から多少知っている状態ではありました。
そんな折、
IT系事務代行サービスやピアノ講師など多彩なスキルをもつ
年下の友人と接する機会が増え、
何か新しいこと、ニーズがある分野の仕事をしたいね…と話が盛り上がり。
約半年の準備期間を経て、
今年4月から複業のひとつに彼女と共同で家事代行サービスを加えました。
介護保険未満の高齢者を対象に家事代行を承るのですが、
いざお客様と向き合うと、
サービスの内容や対価、介護との関係性などいろいろな問題が浮上してきました。
高齢者はまだ護認定を受けていなくても、
心身や生活上に何かしら介護とは切り離せない問題があると気づいたんです。
だから家事代行といっても、
やはり介護の基本的な知識、スキルがないと難しいかなぁと思いはじめたのが夏の終わり頃。
そしてたまたまのご縁で、
近所で訪問介護の事業所を経営されている方との出会いがありました。
こういう経緯で、訪問介護の仕事に興味があります、
短時間パートしかできないかもしれませんが…と相談したところ、
基本的な介護の知識、スキルを学ぶ研修(15日間)を指定の学校で受けさせていただき、
この12月から、訪問介護ヘルパーとして複数のお客様の家を訪ねることになりました。
今月は研修期間なので先輩に同行。
みなさん20〜30代の若い男子ですが、10年近いキャリアの持ち主。
小型バイクで軽やかに現場に来て、時間内で手際よく身体介護を実施し、次の現場へと。
お客様(高齢者)との接し方も上手だし、
彼らの母親世代のワタシですが、学ぶことばかり!です。
ちなみに両親とも最後は施設にお世話になったので、
訪問介護のことはまったく知らなかったのですが、
住まいが古くても、台所などの使い勝手が悪くても、
訪問介護を活用して一人暮らしをされている高齢者の方って、
なんだかのびのび「自由」な印象を受けます。
もちろん、施設には集団生活のルールがあり、
感染症対策なども徹底しなくてはならないから、
どちらも一長一短はあるのでしょうが。
先日、夕方の訪問介護を終えて、自転車で家に帰る時。
12月の18時はもうすっかり日が暮れて、
空には半月のぷっくりした月が出ていました。
その月が、なんなんだろう…今まで思ったこともないほど綺麗に見えたのです。
煌々と輝く光が、目に見えるすべてのものを照らしているように見えて。
「ああ、綺麗だなぁ」って、頭の中がそれだけになりました。
他の日には、同じく朝の訪問介護の帰路で、
河原の土手に群生してたクローバーの緑がやはり妙に綺麗に見えました。
今日の昼間は海沿いのお宅に行ったので、
帰りに駐車場からちらりと見えた穏やかな水平線が、やはりとっても美しかった。
というわけで、12月に入って、
短時間ではあるが新しい仕事を始めてから
今までもいつも目にしていた身近なものが、
凄く美しく見えてしまうという不思議な感覚を味わっています。
広告の仕事も好きだし、占いの仕事も好き。
でも、仕事の後でこんなに何かが「綺麗」に見えたことって、あまりないです。
特に広告の仕事では、取材や打ち合わせの後、
まだ仕事は完成していないので、
仕事を引きずったまま帰路につくから、
何かを単純に「綺麗」って思う気持ちになれないのかもしれません。
まあ広告の仕事には、広告の仕事ならではの充実感や満足感があるのですが。
久々に購入した紙の本!は“「風の時代」に自分を最適化する方法”。
地の時代から風の時代への変貌は、もう一昨年あたりからずっと言われていますが、
占いに関わっている自分としても、
それが今後の自分の人生にどう影響するのか?正直、わからないままでした。
何しろ「地」の時代を60年も生きてしまったのですから、
残りの人生、10年から20年?を新しい「風」の時代に合わせていくって、
そうそう簡単にできることではありません。
占い鑑定のアドバイスでは、
「視点を変えましょう」「まず自分が変わらないと」なんて
さらっと言っていますが(汗)
なかなかどうして「変える」「変わる」には紆余曲折と時間がかかります。
それも歳をとっていればいるほど!
それでも生きている限り、人は変わるし、古い扉を閉めて、新しい扉を開けていく。
きっと、来年も、再来年も、もし元気で生きていればもっと先も。
わたしはそう言いづけていくような気がします。
]]>
昨日観た(録画)の「ねほりんばほりん」(NHKEテレ)は、
東日本大震災で家族が行方不明のまま、
現在に至っている方がおふたり登場した。
人形の姿になっているから、
ご本人たちの表情はわからなかったけど、
私が凄いなと思ったのは、
その方々と向き合うMCのおふたりの対応だった。
美辞麗句を並べるでもなく、
自分の言葉で自分の考え、感想を相手に伝えつつ、
相手の言葉もしっかり受け止める。
なんていうのかなー、
本当に真摯に相手と向き合っている時って
言葉の使い方や文法なんて関係なく、
全身全霊で相手の言葉を受け止めて、
その時に自然と口から出る言葉を発する。
ただ、それだけでいいんだ…というのが伝わってきた。
生死の境は残酷なほどにはっきりしていて、
だからこそ、
生きている人は他者の死を受け入れることができる。
でも「行方不明」というのは、
生死がわからない曖昧な状態だ。
きっとどこかで生きている…と信じるのもありだし、
残念だけどもう亡くなっている…と信じるのもありだ。
残された人は、これを自分で決めなくてはならない。
番組に登場した方々も、非常に長く辛い時間を過ごして、
自分なりの考え方の軸を決めているように見受けられた。
「時間がたつにつれて世の中では、
前を向く、復興、再出発しました…みたいな報道が多くなり、
家族が行方不明のままで時が止まっていて、
そうなれない私たちのような人間は、
ダメなのかぁと思ってしまうことがあります」
出演された方の最後の言葉にうーんと思った。
前を向くのも立ち上がるのも、ごく自然な人間の姿だとしたら、
なかなか前を向けず立ち上がれないのも、ごく自然な人間の姿だと思う。
みんな、その両方を備えていて、両方を行ったり来たりしているんじゃないかしら。
結論として。
「ねほりんぱほりん」MCの山ちゃんとYOUさんの、
聞く力、話す力は素晴らしいっ。
https://www.nhk.jp/p/nehorin/ts/N1G2WK6QW5/episode/te/WKLJVYMVW5/
JUGEMテーマ:日常
JUGEMテーマ:日常
今年はなにもかもイレギュラーな年ではあるが、
それでも旧盆休みの今週は、街もなんとなく静かだ。
ここ一ヶ月くらいずっと考えていることがある。
それは、直接会ったこともない、特別に推していたファンでもない
若い俳優さんが亡くなったことが、
なぜ、いつまでも悲しさを引きずっているのか、ということ。
そして気づいたことがいくつか。
まず、葬儀というセレモニーを目にしていないこと。
身近な人が亡くなれば、
大概は葬儀に参列するか、お香典を届けて返礼品と挨拶状を頂く。
有名人の方でも、
大概はテレビやネットを通して葬儀の模様が報道されたり、
ご遺族からの挨拶がある。
そういう物理的な体験を通して、
人は半ば強制的?に、
その人が亡くなったことを受け入れていくのではないか。
そして、SNSのおかげ?で、
彼が亡くなった後も次から次へと笑顔の写真や動画やドラマや
多くの人からの追悼コメントなどがアップされて、
その内容が彼の仕事ぶりや人柄を肯定するものがほとんどなので
それはそれで嬉しいのだが、
だからこそ、逆に、彼がもうこの世界にいないことがとても悔やまれてしまうのだ。
以前のようにSNSのない時代だったら、
例え有名人が亡くなったとしても、
こんなに悲しみや後悔?が日々更新されていくことはなかった、と思うのだ。
さらに、異常気象なのか温暖化か知らないが、
今年は季節が穏やかに移り変わっていない。
もちろんコロナ禍の影響もあり、
季節の移ろいをしっかり五感で感じられないまま、冬、春、夏と過ぎている。
以前、お寺の取材で住職がこう言った。
「おばあちゃんの葬式の時は、境内で蝉が鳴いていて暑かったね。
おばさんの葬式の時は、裏山の紅葉がすっかり色づいてたよね。
…そんなふうに、葬儀と季節の記憶は案外結びついているものなんです。
一年中快適な葬祭会館での葬儀もいいんだけど、
暑さや寒さも記憶できるっていうのは、お寺の葬儀のいいところじゃないんでしょうか」。
なるほどと頷けた。
子どもの頃の田舎のお寺でのお葬式や法事は、
たしかに快適ではなかったかもしれないが、自然の中で営まれる非日常の儀式は、
子どもにとっては貴重な体験だった。
そして季節がスムーズに移ろっていくことで、
人は、悲しみとの距離を無理なく遠ざけていくことができるのだ。
数年前、父が初夏に亡くなった。
夏が過ぎ、秋が来る頃には、
もちろん思い出しはするんだけれども、
初夏の頃より優しい気持ち、
少し懐かしい気持ちで思い出せるようになっていた。
今年は7月は異常なくらい雨の日が多かった。
各地で豪雨被害が伝えられ、梅雨開けも8月まで延びた。
心身の体調が悪くない人だって、
あれほど雨に降りこめられたら気持ちが滅入る。
そんな中での彼の死だったから、
彼が亡くなったその日の天気と同じ状態がしばらく続き、
季節がうまく流れていかない中で、
衝撃や悲しみから、自然な状態で遠ざかることができず、
なんでこんなに悲しいのか、悔しいのか、
わからないままに二週間くらいを過ごしてしまったのだと思う。
おそらく、同じような心境の方も多かったのでは。
先日「暮らしの手帖 8-9月号」を買った。
表紙の絵を描いていてるミロコマチコさんという方が
「奄美大島新聞」というコラムを連載されていて、その中の一文に目が留まった。
※一部抜粋
ウミガメの目は、奥の奥まで続いてる宇宙みたいだった。
次の日、想像のいきものの絵を描いていたのだけど、目を入れたら昨日のウミガメが立ち現れて、
心がぶるぶると震えて、耳の奥がジーンとした。
亡くなった俳優さんはとても端正な顔立ちの方だが、
わたしは、特に彼の漆黒の瞳が好きだった。
目力があるとか、そういうのとは違う。
まっすぐにどこまでも続く、吸い込まれそうな漆黒の瞳。
ああ、そうか。
このウミガメの瞳の続く先のお話を読んで、
妙に気持ちが落ち着いた…というか、腑に落ちた。
というわけで、ウミガメの写真を載せることにする。
ああ、本物のウミガメに会いたいなー。
]]>
JUGEMテーマ:日常
去年の10倍くらい大きくなったミニバラ。五月の花壇の主役です。
コロナウイルスとの戦いは長期戦になると、多くの専門家が言っている。
何十年かぶり!に月刊文芸春秋を買ったのだけど、
コロナ禍のあれこれについて、
ネットのニュースを小刻みに見るより、読みごたえがあってよかった。
で、長期戦といわれても、人によって時間の長さの捉え方は違う。
辛いこと、いやなことに遭遇している時は、時の流れはどうしようもなく遅いし、
楽しいこと、面白いことに夢中になっている時は、あっという間に時が流れる。
時間は誰にでも平等なんだけど、
それを長いと思うか短いと思うかは人それぞれだし、
個々にとっても、今日は長くて明日は短い、みたいな受け止め方の差がある。
では、長期戦をどう乗り切るか。
コップに残っている水の理論はどうだろう。
半分くらいの水を、まだ半分ある…考えるか、もう半分しかない…と考えるか。
例えば来年の立春頃をゴールとしたら、
なんだかんだで発生からもう数ヶ月経っているので
長期戦期間の1/3は過ぎていることになる。
そう考えるとちょっとだけ気分が楽になる。
または栄枯盛衰の考え方。
どんなに力をもつ権力者も、やがては衰退し時の流れの中に消えていく。
猛威をふるっているウイルスだって、永遠に今の状態が続くわけではない。
要は収束までの時間を、長いなぁ、大変だなぁ、いやだなぁと、
できるだけネガティブに考えないようにして、生きていけたらいいなぁと思う。
もちろん、こんな悠長なことを言っていられない方々が
大勢いらっしゃるのも充分承知しております(汗)。
コロナ禍のせいで環境負荷が減っているのか、
今年はミニバラの花つきがとってもいい。なんだかなぁ。
]]>
JUGEMテーマ:日常
数年前に使っていた手帳。
お気に入りの水彩画風のポストカードをカバーにしていた。
ソメイヨシノが満開の頃に始まった
「緊急事態宣言」から一ヶ月以上が過ぎた。
お正月気分も抜けない頃に始まったコロナの国難は、
あっという間に春を突き抜けて
気がつけば初夏となった今もその勢いが収まらない。
最近、ネットやマスメディアで多くの人々が
「もう、以前の社会、生活には戻れない(戻らない)」と口にしている。
「もう、戻れない」という表現には、どこかしら未練と哀愁がある。
心のどこかでは、
コロナ騒動以前の社会の有様や自分の暮らしに、
ホントは戻りたいなぁ、あの頃はよかったなぁという、センチメンタルな気分。
後ろ髪を引かれながら、それでも自分を奮い立たせて前を向く、ような。
「もう、戻らない」という表現になると、ニュアンスはがらっと変わる。
コロナ騒動以前の社会の有様や自分の暮らしを肯定し、
平穏だった日々に感謝しつつも、
それはもう「過去」なのだと認めて潔く受け入れる。
大切な思い出の箱にきちんと蓋をしてリボンをかけ、
それを小脇に抱えつつ前を向く…というか。
だから「戻れない」と「戻らない」の違いは大きいと思う。
そして「戻れない」と「戻らない」の狭間でふらふら揺れている自分がいる。
]]>
JUGEMテーマ:日常去年の今ごろの風景。
遅めのソメイヨシノを見上げるかわいい鯉のぼりたち。
JUGEMテーマ:日常
時が戻ればいいなぁ…って思いたくなる春。
それでも時は進み、やがて新しい景色が見えてくるはず。
2月の半ば頃に「Before Colona」でBC、「After Colona」でAC …と、
紀元前と紀元後に頭文字をかけあわせて、
軽い気持ちでtwitterに投稿したことがあります。
それから2ヶ月以上が過ぎた今、
世の中がその造語のように、
本当に大きな変貌を遂げそうで戸惑っています。
今までの価値観や常識は通用しないだろうと、
みんな薄々わかってはきたものの、
じゃあ何をどうしたらいいのかが、何もわかっていない。
今は、老若男女、誰もがそうなのかもしれません。
日本政府は3という数字が好きなのか、
「アベノミクス三本の矢」に続いて、
「三密(3つの密)を避ける」というキャンペーンを打っています。
この3という数字が気になっています。
東洋でも西洋でも「3」は行動、発展、新たなパワーを生み出す数字。
だから「3」のままでは、
ウイルスは自由自在に動き回り、さらに暴れて、
世の中は落ち着かないんじゃないかなと。
また、〇〇を避ける、〇〇をしない…という否定的な言葉は、
肯定的な言葉に比べて、
すんなり飲み込みにくいものなので、これもどうかなぁと。
そこで注目したいのが「3」の次にくる「4」。
こちらは安全や落ち着き、慈悲を現わす数字。
なので個人的には「三密を避ける」より、
「4つのルールを守る」といった表現のほうが、
ウイルスが収まり、
社会も人々の気持ちも落ち着くのではないかと思うんです。
自分なりの4つのルールは、
・手洗い、マスクを習慣づける
・できるかぎり家にいる
・家族や友達と良好なコミュニケーションを保つ
・心身の健康を保つ
言葉にすると簡単ですけど(汗)。
これを、行動として続けるのが難しいんですよね。はぁ…。
]]>
JUGEMテーマ:日常
以前から気になっていた「時間」や「暦」について
少し勉強したいと思い、
昨年から都内の短期講座に通っています。
とはいえ、陰陽五行のいろはの「い」にも至っていないので
専門的なことは書けませんが(汗)
今までの講座で印象に残っていることを少しずつ書きます。
まず、ボーダーとストライプのお話。
横縞のボーダー柄は陰陽でいうと陰。
安定や調和、休んでいる状態を示すそうです。
縦縞のストライプ柄は陰陽でいうと陽。
変化や闘い、動いている状態を示すそうです。
なので、ボーダーを着ている時の心理状態は
みんなと仲良くしたい、穏やかに過ごしたい…。
そして、ストライプを着ている時の心理状態は、
みんなの中から抜きんでたい、勝負したい…。
たしかに休日の公園やショッピングモールには
ボーダーTシャツを着た親子連れがとっても多いし、
平日のオフィス街を歩く
ビジネスマンやビジネスウーマンたちの装いには
ストライプ柄のスーツやシャツを多く見かけます。
気をつけたいのは、
どちらにも優劣や良し悪しはないってことです。
一見、ボーダーを着ている人の方が「いいひと」に見えがちですが、
実は、排他的だったり保守的だったりというダークな面もあるし、
ストライプを颯爽と着ている人は「強気のやり手」に見えがちですが、
実は、臆病だったり心配性な自分を鼓舞するために、
努力している人かもしれません。
個人的に気になるのは、
景気が低迷して不安要素の多い時代になってきたせいか、
ここ数年、ボーダーの人気がちょっと高すぎないか?ってことです。
みんなと調和して仲間外れにならないように、
仲良く、優しく、穏やかに。。。
そして、ボーダーは、
「ナチュラル」とか「自然素材」という言葉と非常に親和性が高いように感じます。
あ、別にボーダーをけなしているわけではないですよ(汗)。
わたしも、けっこう着用しているし。
でも、そろそろ「ボーダー」着ていればいいや…みたいな時代の空気が
変わってほしいな、って気持ちもあります。
今年の春は、
ボーダーTシャツではなく、ストライプのシャツかブラウスを買おうかな!
]]>